いつか働かない

いまねひとの職場は

コロナウイルス蔓延による人々の混乱の影響で

本来あるべき仕事が

できない状況にあります

役割

本来の仕事ができないので

日々会社の清掃をしております

混乱のなか我慢を重ねて1年

前向きに仕事に向かえているのは

仲間に恵まれているからです

変化のなかで

改めて役割について思いました

設定する

役割というとなんとなく

社会に求められるもの

という感覚がありますし

実生活でも感触があります

だけど

社会から実際に

「きみの役割は○○だ」

と言われたことはありません

いわんや 云われたとしても

すべてをすんなり受け入れるというわけにも

いかないと思います

求めはたしかに意識しないわけにいきませんが

社会の求めは肌で感じつつ

じぶんで役割を設定することから始まると思います

意味

役割の設定上 ある程度意味は必要です

或る日いつもとちがう 清掃という役割を担ったとき

この役割はじぶんにとってどんな意味があるのか

明確に練られた意味は

役割を確かなものにし

向き合い方を変えることができます

実際

日々の清掃業務を

禅寺の普請作務と思ってやることにしました

普請作務というのは

一般的な修行僧(大衆)も 住職も一緒になって作業に勤しむことです

くり返しの作業のなかで

よくよく目を凝らすと

「こんな汚れ方をしていたのか」

と心が動きます

清掃は

いままで見ようとしてこなかった

職場環境や物品に目を凝らすことをもたらしました

これから

だけど

これからずっと行うには限界があるとも思います

ねひとが思ったのは

「定年老後ってこんなかんじなのかな」

ということでした

やっぱり設定だ

インドの定年には

定年前に森で暮らすという準備期間があるそうです

いっぽう日本は

ある日を境に

「はい 老後です」

といったかんじで

一日にして暮らしかたを変えなくてはなりません

インドの話を聞いたあとだと

上手くいかないような気がしてきます

こうなると老後もやっぱり

役割を設定する力が問われるのではないでしょうか

いや

老後こそ役割の設定が必要な気がしてきます

いまから

混乱のさなかで

いいものを拾った思いです

いつか

社会から役割を求められなくなっても

清掃のなかに感動をみつけるように

いまから

想定しておこうと思いました

  玫瑰や今も沖には未来あり  中村草田男

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